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首大と教員流出:総集編
首大非就任者の会
2009.4.29

首大非就任者の会では,このたび2006年度の教員退職数のデータを整理して,旧来の記事 首大開校直後 (2005年度) の教員流出 を拡張し,首大開校直後 (2005-6年度) の教員流出 として公開した。2003年8月の首都大学東京 (以後,首大と略す) 構想出現から2005年4月の首大開校までの期間が1年8ヵ月であったことを鑑みれば,首大開校から丸2年が経過した2006年度末はひとつの時間的な区切りともみなせる。そこで,本稿において,これまで当会が行ってきた調査結果をもとに,首大開校前後4年間に亙る元都立大教員の大量流出状況を歴史的資料としてまとめておくことにしたい。ここで,元都立大教員とは,首大構想出現の年である2003年度初めの時点で都立大学に在職した教員 (助手を除く) を指す。以下,本稿全体を通して同様である。

首大開校直後 (2005-6年度) の教員流出図1 からわかるように,2006年度においては,元都立大教員の流出率は全学の合計で見ると「平年」 (2002年度以前の10年間の平均) 並みまで下落してきている。しかし,都立大法学部に属した教員の流出数はこの時点でも「平年」を大きく上回り,人文学部に属した教員の中からも「平年」以上の流出が見られる*1。したがって,学部によっては元都立大教員の首大からの脱出の流れが依然として続いており,2006年度末という時間的区切りは,首大構想の引き起こした教員流出の全貌を見る上では必ずしも適切ではないことになる。しかしながら,当会構成員がすべて学外に去った今,これまでと同様の教員流出調査の継続はきわめて困難であり,首大騒動の終息をデータに即して見極めることは残念ながらできない。それゆえ,2006年末を便宜上の区切りとみなして,これまでの調査をまとめておく次第である。

謝辞

教員流出率調査終了にあたって,これまでさまざまな形で情報提供をして下さった方々に,この場を借りて感謝の意を表します。

 


1. 首大構想/開校による教員大量流出

図 1は,首大構想発表 (2003年8月) 時点で都立大学に在職しており,かつ本人が望めば首大に移行して本調査終了 (2007年3月) 時点まで在職可能であった教員 (首大移行在職可能教員) のうち,どれだけの教員がその後の3年8ヵ月の間に流出したかを学部ごとに示したものである。ただし,本調査の対象には助手は含まれない。また,ここで取り上げているのは,人文・法・経済の文系3学部および理学研究科 (理学部) であり,工学研究科 (工学部) は扱っていない。これは,工学研究科に関しては,首大開校前2年間について他学部と同等の詳しいデータが得られなかったためである (ただし,脚注3を参照)。さらに,首大開校直後 (2005-6年度) の教員流出 では調査対象に含まれている都市研究所も,当初調査の対象としていなかったため,ここでも省略している。

グラフの横棒全体の長さが各学部の首大移行在職可能教員数,すなわち,2003年度初めに都立大学に在職していた教員のうち,首大構想出現時点 (同年8月) において転出等による退職が決定しておらず,かつ2006年度末までに定年を迎える予定のなかった教員の数である。これらの教員は,本人が望めば首大に移行し,本調査終了時点 (2007年3月) まで首大に在職することができた。転出数 (青色の部分) は,首大移行在職可能教員のうち他大学への転出等により調査対象期間に都立大/首大を自発的に退職した教員の数 (ただし,首大就任非承諾者を除く) である。首大就任非承諾数 (緑色の部分) は, 2004年2〜3月に東京都大学管理本部が教員に対して提出を求めた (首大への就任) 「意思確認書」の非提出者数と同年7月の「就任承諾書」非提出者数の合計である。[これらの首大非就任者は,2007年度末までに全員が都立大学 (2010年度まで首大と並行して存続) を去っている。] したがって,赤色の部分が,首大移行在職可能教員のうち,調査終了時点までそのまま在職している首大在職教員数に対応する。

各学部の教員流出率
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教員流出 カテゴリの一連の記事と同様に,転出数と首大就任非承諾数の合計*2 を教員流出数と呼ほう。図 1のグラフの各棒の右の括弧内の数字は,各学部における首大移行在職可能教員数に占める流出数の割合,すなわち教員流出率である。たかだか3年8ヵ月の間に,首大移行在職可能教員のうち人文学部で1/3,法学部で2/3,経済学部で1/2以上,理学研究科で1/4の教員が流出している。

なお,図 1のグラフのもとになっているデータの詳細は,Appendix の表 Aに与 えられている。興味のある読者は参照されたい。

***

図 1に示された教員流出の中には,首大構想/開校とは無関係の (「通常」の) 人材流出ももちろん含まれている。そこで,次に,図 1の教員流出のうち,主に首大構想/開学が影響を及ぼしたと考えられる部分を推定してみよう。

首大構想/開校に起因する流出
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図 2は,図 1の学部別流出数を過去の教員転出数平均と比較したグラフである。ここで,教員転出数の過去の平均とは,2002年度以前の10年間の自発的退職数 (推定値) の44ヵ月あたりの平均値を意味する (本稿末尾の Appendix 参照)。各学部の2つの棒グラフの長さの差 (下段マイナス上段) が,首大構想/開学により引き起こされた教員流出であるとみなすことができる。下段の棒の右側の括弧内がその人数である。人文学部で36名程度,法学部で16名程度,経済学部で13名程度,理学研究科で8名程度の教員が首大構想/開学のために大学を去っていると推定される*3 (上述のように,首大就任非承諾者もすべて都立大を退職している)。

図 2より,人文・法・経済の文系3学部では,この間の人材流出の大部分が首大構想/開学に起因していることがわかる。他方,理学研究科に対する首大構想/開学の影響は,文系3学部の場合と比較して相対的に小さかったと言える。ただし,定年退職等まで含めたこの間の教員総退職率を計算してみると,理学研究科について興味深い事実が判明する (次節を参照のこと)。

***

図 1-2 にまとめられたような教員の大量流出は,事前的にも十分に予見できた。たとえば,首大開校前年の2004年1月下旬に行われた教員からの異義申し立て「都立4大学教員声明」には,都立大学教員の65% が賛同署名 (同年2月3日の最終集計時点) を行っている。他方,我々の社会には転職の自由と機会が当然存在する。分野にもよるが,大学教員は比較的流動性の高い部類の職業であると言えるかもしれない。とすれば,首大「改革」なるもののひとつの帰結が人材の大量流出であろうことは,(「官僚の論理」でなく)「市場の論理」からは明白であった。したがって,人材大量流出を引き起こした責任はひとえに,そのような当り前の理屈を認識できず,自らの計画に固執してグロテスクな新「大学」を作り上げた設置者 (東京都知事と官僚) にある*4

 

2. 首大開校前後の元都立大教員の退職状況全般

大学教員の退職は,それが自発的退職 (他大学への転出等) であれ,定年退職であれ,当該大学の研究・教育サービスの社会への供給という観点からは同じ意味を持つ。すなわち,それまでと (少なくとも名目上) 同じ総量の研究・教育サービスの供給を行うためには,新規採用によって人材を (必ずしも同分野でなくとも) 補充する必要があるし,もし新規採用を行わないならば,研究・教育サービスの社会への供給総量はその分だけ減少することになる。そこで,本稿の最後に,首大開校前後の4年間における元都立大教員の (定年退職等も含む) 退職状況全体を見ておくことにしよう。

図 3は,2003年度初めにおいて都立大学に在職した教員が,首大開校前後の4年間 (2003年4月-2007年3月) にどのような動きを示したかを表している。(首大構想が発表されたのが2003年8月,首大の開校が2005年4月である。) これまでと同様に,図 3 のもとになる詳しいデータは,本稿末尾の Appendix に与えられている。

総退職状況
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図 3の棒グラフの横棒全体の長さは,2003年度初めの各学部の教員数 (助手を除く) を表している。赤色の部分は,それらの教員のうちの,首大開校から丸2年が経過した2006年度末における首大在職教員数である。同様に,緑,青,灰色の部分は,ぞれぞれ,転出等で退職した教員数,首大就任非承諾教員数,定年退職教員数を表している*5。なお,既に述べたように,首大非就任教員 (図の青色部分に対応) は,2007 年度末までに他大学への転出等により全員が都立大学を退職している。

図 3の各棒の右側の括弧内の数値は,2003年度初頭に都立大学に在職していた教員のその後4年間の総退職率 (図の緑,青,灰色部分の長さの和の横棒全体の長さに占める比率) である*6。人文学部で1/3以上,法学部で7割以上,経済学部で1/2以上,理学研究科で4割近くの教員が退職している*7。文系3学部においては,図3 の総退職率と図 1の流出率の間に大きな違いはない。他方,理学研究科においては,流出率が約25%であったのに対して,総退職率は約38%に達し,人文学部のそれを上回る。これは,理学研究科においてこの間に19名の定年退職者があったためである。

***

企業であれ,プロスポーツチームであれ,あるいは大学であれ,短期間に大量の人材を失うとき何が起こるか――たとえば,大量の欠員を他企業/チーム/大学との競争の中で短期間に補充しなければならないとき,組織の質がどのように変化するか――その推測は,賢明なる読者諸氏におまかせすることにしよう。ただし,どんな事態が生じる/生じたにせよ,前節の分析が示すように (少なくとも人文,法,経済の文系3学部の場合は) そのような事態を招いた責任はひとり設置者にあることを銘記されたい。

 


Appendix : データ

図 1-3 のグラフの基礎となるデータは,次の表 A の通りである。

 
表 A   首大開校前後 (2003-2006年度) における元都立大教員の退職状況
 
 人文経済4学部計
2003年度初めの教員数1333233118316
2003年7月までに決定した2003年度転出数13026
2003年8月以降に決定した2006年度末までの転出数211172362
首大就任非承諾数22710140
2003-2006年度の定年退職数4211926
2006年度末に首大に在職している元都立大教員数8591573182
 

表 A に基づき,首大移行在職可能教員数,流出数,総退職数を次のように定義する:

首大移行在職可能教員数 = 2003年度初めの教員数
― 2003年7月までに決定した転出数 ― 2003-2006年度の定年退職数
流出数 = 2003年8月以降に決定した転出数 + 首大就任非承諾数
総退職数 = 2003-2006年度の転出数 + 首大就任非承諾数
+ 2003-2006年度の定年退職数

これらの定義と表 A のデータから,以下の表 B が得られる。ただし,表中の過去の平均転出数とは,1993-2002年度の転出数 (推定値) の44ヶ月あたり平均値を意味している。1993-2002年度の転出数は,「都立大学学報」のデータに依拠して推定された。詳しくは,25名だけが「首大」への就任拒否をしたわけではない の 3節を参照されたい。

 
表 B   元都立大教員の流出率と総退職率
 
 人文経済4学部計
首大移行在職可能教員数128273297284
流出数43181724102
流出数 / 首大移行在職可能教員数0.3360.6670.5310.2470.359
過去の平均転出数7.331.833.6716.1328.97
流出数 − 過去の平均転出数35.6716.1713.337.8773.03
総退職数48231845134
総退職数 / 2003年度初めの教員数0.3610.7190.5450.3810.424
 

なお,元都立大教員の退職状況を各年度ごとに示せば表 C のようになる。(これまでと同様に,ここでの転出数には首大非就任者の転出は含まれない。表 A の転出数と定年退職数は表 C の数字を合計したものである。) この表は,首大開校直前 (2003-4年度) の教員流出 の表 1 および 首大開校直後 (2005-6年度) の教員流出 の表 2 の該当する項目を整理してまとめたものに相当する*8

 
表 C   年度ごとの元都立大教員の退職状況
 
 人文経済4学部計
2003年度転出数 (7月以前に決定)13026
2003年度転出数 (8月以降に決定)742518
2003年度定年退職数12069
2004年度転出数523919
2004年度定年退職数20057
2005年度転出数622616
2005年度定年退職数00044
2006年度転出数33039
2006年度定年退職数10146

*1 他方,前年度までは流出率が「平年」を上回っていた経済学部や理学研究科において,2006年度の流出率が「平年」を下回ったという現象は,これらの2つの学部に属した元都立大教員については,「出るべき者が出,残るべき者が残った」という段階に達したことを示しているのかもしれない。教員流出が終息した後には,しばらくの間は転出が「平年」よりも少なくなるのが自然であろう。
*2 上記転出数には,非就任者が2006年度末までに転出等により退職した場合を含めていないので,転出数と就任非承諾数の間に重複はない。
*3 当会の知る限りでは,工学研究科の教員退職状況は,本稿の分析対象期間全体に亙って「平年」と大きく異なることはなかったようである。もっとも,工学研究科において首大設立を支持する声が一般的であったのかと言えば,そうではない。たとえば,新大学計画の見直しを求める「都立4大学教員声明」(後述) においては,工学研究科でも教員の過半数が賛同署名を行っている。では,工学研究科で他学部並みの人材流出が発生しなかったのはなぜだろうか。おそらくその最大の理由は,工学研究科に対する首大設立の影響が,他学部の場合に比べてずっと小さかったことに求められるであろう。すなわち,自らの分野についてだけ見ると,首大は「まったく新しい大学」(首大設立過程で東京都知事が好んで用いたキャッチフレーズ) ではなく,ほとんど「これまで通りの大学」であったため,研究に必要な実験設備等が他大学に移動困難であるいうこの分野特有の事情もあって,(「都立4大学教員声明」への賛同数が示すように首大全体の理念や設計には否定的であっても) 首大に留まる道を選択したのではなかろうか。都知事の言う「まったく新しい大学」ではまったくないことが,人材を引き留める役割を果たしているとすれば,まったく皮肉である。
*4 いわゆる 山口・西沢「恫喝」文書 からは,東京都大学管理本部が上述のような市場経済の常識さえ理解していなかったらしいことがうかがわれる。自由主義社会の原理を無視して自己陶酔するだけの「改革」ならば,子供にもできる。
*5 図 1の転出教員数と図 3の転出教員数は同じではない。後者は2003年7月までに転出等が決定していた教員を含むのに対して,前者は含まない。また,厳密に言えば,定年退職教員数には,在職中に死亡した教員数も含まれている。
*6 首大非就任教員のうち数名は,この時点 (2006年度末) ではまだ退職しておらず,総「退職」率という言葉の使い方は正確ではないが,それらの教員も翌年度末までには転出しているので,ここでは退職者と同等にみなしている。
*7 この結果,教員の新規採用を抑制するならば,財政難に悩む東京都はめでたく支出削減を達成することができるだろう。ただし,この状況は,いわゆる「リストラ」の成功 (不要な人材の解雇による収支改善) とは似て非なるものであることは言うまでもない。元都立大教員の大量退職は,いわば「市場性」の高い者から順に自発的に離職する現象である。
*8 2004年度に転出が決定したが,実際に転出したのは2005年度である2名の教員 (首大開校直後 (2005-6年度) の教員流出 参照) は,2004年度ではなく2005年度転出として扱っている。したがって,首大開校直前 (2003-4年度) の教員流出 の表 1 と比べて 2003-4年度の転出数合計がその分少なくなっている。
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